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この歌詞はドラム、トモが3 minutes RISEとして初めて手がけた歌詞。

世界平和や人種差別等、宗教問題や歴史ミステリー等正直人間という生き物が存在する限り解決される事のない問題をテーマにした。

1コーラス目では人種差別や戦争をテーマにしている。

Aメロで人種差別と戦争。

「僕と周りと何が同じ?
形、考え、種類、文化、神。
どこ取ったって全部違うじゃない?
ならもめたってしかたないじゃない、そう。

何が人をかりたてるのか、僕に教えて。
爆弾や鉄の弾、細菌とかアレコレ。
そんなんに使う金や知識、もっと他に使えない?ねぇ。
個人や国のプライドより考える事ってないですか?」

Bメロでそれに対するトモの考え。

「何も大それた事言おうってんじゃありません。
こちとらまだまだ若造です、だけどさ!
若造なりに思うとこだってあんじゃんか!
一般的に何かって?ご近所さんがこうだって?
何それ食べられますか?アナタの健康守れますか?
どっかの貧しい子どもや手足のない人救えますか?
結局皆自分事、人の本質忘れてない?だってさ!
住み良い環境や生活整えてばっかでしょ?!」


そしてサビではトモ自信が味わった自分の保身が相手をどれだけ傷つけるのかという事。

「Yesって人が生き残る社会。
Noって声が聞こえない世界。
そんなん間違ってるって思ったことないかい?
全部押し殺して生きるのが正解?
そんな人生楽しいかい?
俺はそんなん絶対嫌じゃい!
俺は俺のまんま生きたいんだい!
本当に生きてるって事したいんだい!!」

2コーラス目では私生活の幸せさと宗教問題、歴史への賛美。
ここではトモの歴史ミステリー好きな部分や都市伝説好きな面が全面的に押し出されている。

Aメロでは私生活の幸せさ。

「何がそんなに大切か?ってそりゃモチ生きる事。
楽しく平和で、「おはよう」いえる人がいる事。
辛い時気遣ってくれる友がいる事。
んでもって世界のミンナガ ヘイワ デ ハッピー ナライイナ」

最後がカタカナ表記になっているのには訳がある。

トモ自信そんな思想をかかげておきながら、1コーラス目で唄った「自分事」で普段を生活してはいないか。
いやしているのである。
タバコも吸うし、肉も食べる。
エアコンや車、自分の生活を整え、いかに住み良い感興を作るのかを錯誤している。
そんな考えている事とやっている事の矛盾、アンバランスさを表現したかった。

Bメロではそんな私生活の矛盾と宗教に頼りたがる人間への結局人間は自分と仲間の力で生きていくんだ!という批判的メッセージ。

「そうじゃないって違くてさ、いや、ほらほら、そうそう、アレ?何だ?
僕には君がいて今すっごい幸せなんだ!
それだけでホント良いんです、神様何も要りません
そうなりゃアンタ(神様)だっていらねっす、今も天空(うえ)から見てんスか?
何日断食しましょうが、3日後に生き返りましょうが、
今の人には勝てません、って言われちゃう前に何とかしません?
人を斬る道具や撃つ道具、なんちゃって俺がアナタ(神)の道具?
そこんトコどうなんですか?気になります、教えてよ!ねぇ!神様!!」

2サビでは宗教と中世ルネサンス期のヨーロッパを唄う。

「イェスって人が残した聖書(モノ)。
本(聖書)の中で語られた事。
信じるかそうじゃねぇかって自由なんでしょ?
自由なら何で問題起きんのさ!
信じたものに殺されたもの。
真実を描き隠されたもの。
ホントの事残したかったんでしょ?
貴方が残した絵(モノ)、俺は信じますさ!」

このサビに出てくる登場人物は2人。
イェス・キリストとレオナルド・ダ・ヴィンチ、その人である。
無神論者であるトモがイェスを批判するのではない。
イェスという人をめぐり宗教戦争や差別を起こした人たちを批判している。
「信じたものに殺された者」とはローマ教皇に裏切られ、13日の金曜日に虐殺されたテンプル騎士団。
「真実を描き隠された絵」とはレオナルド・ダ・ヴィンチの破壊されたと考えられていたが、ダ・ヴィンチの支持者であるヴァサーリによって隠されざるを得なかった「アンギアリの戦い」(戦争を生々しく描き過ぎた為に、完成したがローマによって破壊されたとされてきた)をさしている。
今でも上の意にそぐわない人間が会社でおそまつな扱いを受けるのと同じ事が中世ルネサンス期のローマの時代からあった。

ギターソロ後のバラードフレーズはトモの本心を語ったつもりである。
実際の演奏でもトモが唄う。
先にも述べた「人間は自分と仲間の力で生きていくしかないんだ」という無神論者のトモの率直な意見だ。

「神が何かって本当に重要?
実はそれってちっちゃくない?
重要なんはそんな事より、今生きている俺達が、
どうするかって事だと思うんですけど、どうですか?
もっと近くでお世話になっている地球(ひと)を………気遣いません?」

最後のサビはこの曲を象徴する言葉を並べた。

「YESって人が生き残る社会。
Noって声が聞こえない世界。
ちっこいプライド捨てちゃって、もうちょい耳傾けてみませんか?
イェスって人が言う隣人愛。
僕って人の持ってる思考。
信じるか信じねぇか自由なら、
信じようアナタが「生きた」っていう事実を」
我ながら無神論者丸出しであると思う。
最後のフレーズは「イェス」という神の存在ではなく、記述がある限り「イェス」という人間が過去に生きたという事実を信じるという事を言いたかった。
そして上司とか、年上とか、先輩とか、そういうちっこいプライド捨てて、学校や地域や会社で辛そうな奴沢山いるだろう?
そういう人に声かけてあげて?
俺もそういう人達にすごく助けられて、救われて、生きる事の楽しさ、会話する事の楽しさ、なによりPah(パー)になって騒ぐ事の楽しさを知れた。
だからこうやって今音楽を作れる。
家族やメンバーや友達に「おはよう」って言える。
人間生きていくのに神はガイドラインにしかならないんじゃないか?
天空から見てるだけだよ?
助けてくれるのは仲間、生きていくのは自分なんだ。

押しつぶされるな、弱者。
Pahになれ!生きた方が死ぬほど楽しいぞ!!
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2010.02.25 / Top↑
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